瞑想心理カウンセラーリッカのつぶやき

決められないとき、自分の気持ちがわからないとき。あなたの本心をカウンセリングと誘導瞑想で一緒に発見します。

★どうぶつ性格診断カウンセリング60分¥5,500★(毎月3名限定)

カウンセリング実習  きっと実習でも実際のカウンセリングでも”これ”を見続けるし眺め続ける。

スコップを買うかどうか考えているうちに、時が経過していました。心理カウンセラーのリッカです。ちなみにスコップは、土曜日の雪で大活躍しました。

 

f:id:kurarikka:20221215134636j:image

ど、ドキドキしながら実働にむけ、キャッチフレーズも出してしまいます。

「変わり者さんの過去のトゲを抜いて、ありのまま生きるを助ける。十勝発マイペースカウンセラー」

もう少しスッとしてパチンとハマるものを探し続けたいと思います。

(表現が永久監督並みに擬態音だけ)

 

 

 

さて、先週第四講が終わったお弟子講座。その振り返りの前に、11月〜12月までのカウンセリング実習の振り返りと所感を記録いたします。

 

 

今回は折り返しとなります。(第四講が終了し、その後お弟子同士の実習はなく、モニター募集への準備へとフェーズが移動しまして。ハラハラいたします。来月には、募集の案内をいたします)

 

では、最後のお弟子同期とのカウンセリング実習はどうであったかです。

 

ちなみに、毎回の実習メンバーの組み合わせは、zoomのお部屋割り機能が勝手に組み分けているとのことです。つまり、41名中、どなたと行うかは事務局も与しないのです。

 

運命か、予定調和か、なんか適当なのか。

 

お弟子講座中には、グループワークや提示された課題についてその場でカウンセリングを行う場合もあります。

 

不思議と、あら、またお会いしましたねウフフと笑みを交わす方もいれば。

この人気になるな、雰囲気好きだな。お話してみたいな!と思っても、かすりもしない方々もいます。

 

当然、回が進むにつれ、一度カウンセリングをしあった同士、気心が知れたものとなります。

お弟子交流会で、生身でお会いしたのならなおさらでしょう。

 

今回で、課題としての実習が終わってしまいましたので、能動的に交流を図らない限り、お弟子同期との交流機会は減ってしまいそうです。

ここで、積極的に人の中に入っていくわけではない私リッカは、うん、ご縁があったらきっと何かあるでしょう!とあっさり天に任せるのでした。

 

話が逸れました。

今回の実習は、「頑張ったこと」をクライアント役はカウンセラー役に伝えます。カウンセラー役は、その「頑張ったこと」からあるものを見つけ出し、ある物語へと書き換える作業を行うのです。

 

ここでクイズです。

 

私リッカは、このあること。2つの媒体で体感と理解をしました。

それ以外は、こっぱずかしくって、言葉にするのは嘘付きだけだと思っていました。

 

一つは、マザー2(ゲームだよ。名作だよ。糸井重里さんは神だよ)の最後のシーンとセリフ。

 

もう一つは、発刊されるたびに読んでいたハリーポッターの最終巻。(5巻あたりから、本当に苦痛だよね。この苦しさがあとで快楽になるのだ、と変態的な気持ちで読んでいたよ)

 

ほんで、実際にカウンセリングを受けて生き返ってから、自分の周りに「あった」ことに気がついたものです。気がついたというか、嘘くさくて薄っぺらく感じずに、スコンと腑に落ちる感覚です。

 

その、あることを見つけていく。

 

これが難しい。言葉にすることは簡単だけど、伝えたところで「大変薄っぺらく」感じてしまう。クライアント役が納得し、腑に落ちるように言葉にして伝えるのが、どうにもこれじゃない感が満載なのです。

 

ただ、実習を通して、やはりこれだなと手ごたえも感じました。

 

居合で例えるのと、ちょっとずれてしまうかもしれませんが。

基本の10の型が修了し、いよいよ流派の教えが始まったのです。お師匠流心理学なのか、お師匠のお師匠の流派なのか、残念ながら私は知らないのです(正直者)

 

「ダメ出し」や、「全然わかってないよね。そんなんじゃうまく行かないよ。直さないとダメだよ」

 

なああんて、言葉はお師匠界隈ではナンセンスなのですね。

 

課題や問題を根性で辞める、乗り越える、ではないのです。

問題から、愛、才能を見つけ出す。

徹底して見続ける。諦めない。

 

 

これは、私の本業である相談職でも間違いなく必要なスキルです。

ダメなとこ、社会的に問題なところ。課題点ばかり見ていては、支援を受ける側も支援を行なって助けようとする側も辛くなって、ギスギスしてしまいます。そして、燃え尽きてしまうでしょう。

 

 

今、目の前で起きているトラブル、悩み、遣る瀬無いこの感情の動きはなんであるのか。

 

誰かの後ろめたいまでの愛情が、毒や問題へと姿を変えて現れた。

なんとかしようとして足掻いた跡。

その時は、もう、それしか方法が残されていなかった。

小さすぎで、力になろうとしたけれど思うようにできなかった。

理解されなくても、自分はこれが最善だと思っていたし、このやり方しか知らなかった。

 

全部、説明できてしまう、と。

 

しかしながら、今回の実習は「これで完了」「これが天井」というものがない世界なのだなあーと途方にくれる実習でもあったのです。

 

愛を語るには、ゲームの「マザー」のように、十字キーでフィールドを移動し続けないといけないし。面白いけど、町人にはAボタンを押して話しかけ続けなきゃいけないし。

 

ハリポッターだって最高に面白いけど(3巻は原作も映画も最高だよね)、何度も繰り返しますが、5巻以降は「もうやめてっ」と思いながら読み続けて、やっと理解と納得と脱力で大泣きをしたわけで。

(20代だったけど、ゲームと児童文学で大泣きしたってなにも問題ないと思う!)

 

もちろん、ドラマや映画や日常生活から、「人生って愛だらけ」と浴びるように受け取れるのなら最高なのです。

ただ、人間、どうしたって体調やバイオリズムや突然のトラブルから、その受容体が、あれーどーこいっちゃったかなーという状況にもなってしまうわけで。

 

誰にでも、本当にマザーやハリーポッターの最後にがっつり心を持ってかれた以上の愛がちゃんと用意されているのですね。

予想外のところにあったりもするでしょう。わかっていても、その時には受け取れなかったりもするでしょう。

 

そして、それがスコンと本当にふに落ちた瞬間。

思い出して一瞬幸せ、ではなく、いつもそこにある。繋がっているから、もう大丈夫になるのです。

 

言葉にするのは難しいけれど、ちょっとだけ頑張ってみました。

マザー愛とハリポッターの愛の説明大好きだっと声高に叫びたかっただけじゃないですからね。

クラリッカ改、心理カウンセラーリッカでした!

幼少期のあだ名(就学前から誰かが呼び始めた。保育所の先生かな)リッカでやっていきますね。よろしくお願いします。