先日、やっと「すずめの戸締り」を観ました。
その前日、私はイメージワーク(誘導瞑想)のインナーチャイルドワーク(3,4歳の自分にイメージの中で会いに行く)を受けていました。
久しぶりに会った私のインナーチャイルドと映画の中でのやり取りに、偶然重なる部分が多くみられました。
面白かったので、私の解釈をそえて、映画と重なる部分をシェアします。
素直に自分を出しても大丈夫。彼があなたの個性を愛して離さなくなるマインドをセットする。瞑想&心理カウンセラーリッカです。
さて、『すずめの戸締り』は公開から時間も空いていることですし。
思い切って、映画後半のクライマックスの描写をしますね。
本作は、常世(とこよ。死者の世)と現世(うつしよ。今)のはざま行き来するお話です。
物語の公判、主人公のすずめちゃんは、東北沿岸に残された自宅のドアから常世につながり、彼を助けに向かうのです。
そして、すべての決着がついたあと。
その常世で、あの日に迷い込んだ幼い自分を見つけます。
そして、映画の冒頭
幼少期に会っていた女性は、母親なんだろうなと視聴者に思わせておいて
実は、成長し美しい女性になった自分だったと明かされます。
成長した自分が、混乱し泣き叫ぶ幼い自分に「もう、大丈夫」と声をかける。
小さな自分、大人になった自分双方の痛みの記憶が「あ、もう大丈夫」と体感できる瞬間がやってきます。
私は、そのように受け取りました。
その「すずめの戸締り」を、私が観る前日。
カウンセラー誘導のもと、私はインナーチャイルドワークを受けていました。
どのあたりが偶然に感じたのか、その体験をシェアします。
誘導を受けながら行う瞑想中のイメージは、
大きなカシワの樹に囲まれた公園に、一人たたずむ小さな私。
3,4歳ぐらい。
顎のラインまでの長さの髪。
つやつやとした直毛が、秋の日差しに反射している。
もちゃっとした頬を下に向け、うつむいている。
大人になった私がそっと近づく。
もちゃっとした幼い私が、上目づかいで大人の私を「キッ」と見上げる。
怒っているし、私を威嚇している。
野生動物の赤ちゃんみたいでかわいい。
そう、幼少期の私はそれはもう怒りんぼでした。
その様子に、大人の私は驚き恐れることはもうありません。
カウンセラーの誘導を受けながら、幼い私になぜ怒っているのか尋ねます。
「みんな私に、普通はああする、こうする。それはおかしいからするなという」
3,4歳にしては、はっきり怒りを言葉にしています。
「自由にしてよいといわれたどうしたい?」
そう幼い私に、大人の私が尋ねます。
「そうはいっても。私がそばにいるから大人たちがうまくいっている」
幼い私は、小言を言われながら。
自分という存在があることで、集団内で緩和剤や中和剤のような役割を十分果たしていると思っているようです。
「小さいのに頑張っているね、えらかったね」と小さい私のほっぺをむにょむにょとなでる大人の私。
イメージの中の私も、やはり野生動物みたいに警戒心が強く、頭を撫でられることを好んでいませんでした。
なので、ほっぺをこれもかと撫でています。
周囲の言うように
「思いつきで行動し、発言しないこと。普通にすること。あたりまえをあたりまえにすること」
それができない自分はダメだと。
幼い私は、思い込んでいるようです。
やろうとしても、苦しい。
ということは、自分はろくな大人にならないのだろう。
そう怒りながらあきらめていたのです。
大人の私は、いろんなことを棚上げして
「もう、ここにわたしがいるから大丈夫。大人になって自由に生きているわたしがいるから大丈夫。そのままで」
実際は、誰も制限なんてしていないことを伝えよう。
そんな思いを込めて、幼い自分と手をつないでいます。
幼い私も、目をまあるく開いてとぽかんと私を見上げています。
すずめの戸締りの常世から出ていく幼い自分に向け、すずめちゃんが声をかけます。
「わたしは、あなたの明日」
ここから先、私が書き記す内容は、人によっては嫌な気持ちになるかもしれません。
それでも、今回の『すずめの戸締り』から受けた印象も、やはりこのことを指しているのではないかなと思うのです。
勇気をだして、文章にしてみます。
イメージワークを行う際。
過去の痛みは、心の底、潜在意識といった無意識に残り続けていると考えます。
その痛みが、小さな自分、インナーチャイルドとして登場するのです。
そして、大人の私が、そのズタボロのままに置いていた小さな自分を救いに行くのがインナーチャイルドワークなのです。
これは、通常の解釈。
私が好きな考え方は、時間は過去から未来の一方通行ではないというものです。
当時、痛い思いをしていた幼い自分。
時間や空間に制限をうけない、その自分を見守っている存在がいる。
人によっては、神様だったり、守護霊だったり、ご先祖様だったりするのでしょう。
ですが私は、その存在は実は、未来の自分であると考えています。
人は、当時の自分を思い出しながら。
その場で応援し包むようにエネルギーを、実は送っているのではないだろうかと。
「よく頑張ったよね。ほんと、生きててえらいわ。よく耐えたわ」
3歳なのか、14歳なのか、17歳なのかわからないけれど。
当時を思い返す瞬間。
死にそうに辛かった自分を、自分が支えているのだろうと思うのです。
そんな感覚、伝わりますでしょうか。
あなたが今も生きていることがその証拠ですし。
その当時を、忘れることなんてない。
その理由は、今も祈りや力を送り続けるため。
(えー、ずっと続けるのしんどいのですけど?というかたは、それこそカウンセリングやイメージワークを活用ください♡と思うのです)
心理カウンセリングは、ただ話を聞くだけにあらず。
イメージワーク、誘導瞑想は、ただのなぐさめにあらず。
ちょっと今日はなぞなぞのような感じで終わります。
瞑想心理カウンセラーのリッカでした。