ジカの住む土地は、ただただ広い穀倉地帯なので、運転免許取得と一人一台自家用車の所持が、自由に生きるための最低条件となる。
少なくとも、ジカはそう思っていた。
もし、ジカがうら若いうちから、己の女性性を解放して、色気が滴り、自分の軸がしっかりある人であったなら。
車をいつでも出してくれる友人知人も簡単に見つけていたのだろうか。
「あたし、海が見たくなっちゃった」
と、相手の目を見てサラリと言えたのなら。
自由にどこでもどこまでも連れて行ってくれる人を、1ダースぐらい容易く見つけていたのだろうか。
20代ジカの生態を表すなら
「わ、わたし、海が見たっ(誤って舌を噛む音)何でもなかった。ちょっと出かけてくる」
と自己完結して、立ち去っていた。もちろん、常に視線は泳ぎ続けている。
というわけで、運転免許証の取得しようとするだけでも、自ずと自立心を養われそうである。
自由のために、人は自立していくとして。
環境によって、望む望まないに関わらず自然とそうならざるを得なくなるのなら。
戦場は当然としても、北国雪国には、師匠の上客である自立系武闘派女子が多く生息しているのではないだろうか。
己の技量で、雪山と凍結路面を制する。恐れていては定時出勤と帰宅はできないのである。
などと、根拠のない予測を立ててみる。
(因みに、旅先の京都やベトナムで、女子が原付に乗って颯爽と駆け抜けていく姿にときめきが止まらなくなっていたこともここに記す)