辺境でカウンセラーを目指していますクラリッカです。
辺境の歌姫みたいで、かっこいいのではないでしょうか(中学二年生的発想)
今回はひさしぶりの【過去の回想】です。
真打登場、祖父みっちゃんです。
みっちゃんは三つ揃いスーツが似合う、古き良き時代のイケメンです(あくまで孫比較)
骨太でねー、背が高くてねー、寡黙なのー。物静かなのに、男女問わず人にモテるという人物でありました。
よく、カウンセリングの課題などで、家族との関係を振り返るというものがあります。
問題となっている関係。生きていくうえで支えとなる関係。
特に、支えとなる関係の人物は、貴方自身の幸せを願うとき。もう、幸せになったるわ!と気合を入れるときの支えになるのです。(えー、やー、いいですぅと思った貴方。大丈夫、私もそう思った。家族とのつながりとか、”はんかくさい”※馬鹿らしいの意とね。はははは、照れ隠しだけどね)
はじまりはじまり。
ところで、皆さんには、この人こそが世界と自分を繋いでくれていたと思う人はいるだろうか。
この人がいたから、最終的にこの世界は素晴らしいのだと思わせてくれる人がいるだろうか。
家族でも、恋人でも、友人でも、憧れの人でも誰でも良くて。
直接会話はもうできなくても、姿を見ることはできなくても。必ずいるはず。
愛情を受けなければ、人は生き残れないと言う。貴方が生きていることが、その証拠となるという。
2022年8月
ジカは、母、竹蔵(弟)とハチワレ犬とで、お盆前の墓掃除に来ていた。
この日は、晴れているが心地よい風が吹いていた。車内のハチワレ犬も窓の隙間から鼻を出して、まんざらでもない様子である。数刻車から離れても、高温になることはなさそうだった。
ジカは、水桶と柄杓を竹蔵に手渡す。「お前のその身長は何のためにあると思うか。墓石の真上から垂直に水をかけるためである」と無責任にのたまう。
竹蔵は「届くけどさあ」とぷうぷう文句を言いながらも水をかけてゆく。
ジカは、毎年道の駅で購入している、地元の農家が育てた姫菊がかわいい仏花を供える。
「本当は、じいちゃんには白百合が似合うと思う。カサブランカ(大型の白百合。でかい)をお供えしたい。竹蔵、暇な空き時間つかって庭で育て、来年のお盆時期に合うようにしてほしい」とジカは無理難題を言う。竹蔵は「そもそも、土いじりすらしないし」と半笑いでまたぷうぷうと答えている。
そんなやりとりをしていると、どこからか立派なキアゲハが飛来してきた。
墓石の右側を半周し、雑草を抜く母の目の前を通る。ジカの二の腕に一瞬だけとまり、竹蔵の横をひらひらと飛んで去っていった。
ジカは「今、一瞬チクってした」と二の腕をさすりながらキアゲハを見送った。
ふと思う。亡くなった人は、虫になって会いに来るという迷信がなかったかなと。言葉が口から出ていたようで、竹蔵も「ああ、そうね」としみじみと同意した。
ジカが家族のことを思い出すとき。母が持っているアルバムの写真を思い出すことが多い。
お店の事務所で、ピンク色のコーデュロイ地のおんぶ紐を使って、みっちゃんがジカを背負っている。ジカは白饅頭様のまま、むんと真上の虚空を見上げている。みっちゃんはカメラに向かって、珍しく破顔している。
物心ついたときから、ジカは祖父みっちゃんと一緒に過ごしていた。
特に夕方は、みっちゃんの運転する車に乗ってご近所の集金にいく。玄関に座り、その家の人と楽しげにやり取りをしながら領収書を切るみっちゃん。
みっちゃんは自由人だったので、たまにこっそりゴルフ場にも行っていた。小さなジカは、ゴルフのことを良く知らず、何故崖に向かってみなボールをうっているのか。何故窪みにそのボールが大量に溜まっているのかわからなかった。
みっちゃんは、週末のゴルフ帰りに、池にあったといって、袋いっぱいのカエルの卵を持って帰ってきたことがあった。
ジカは「気持ちわる」といいながらも、喜んでいたが、ある日を境にそのお土産は無くなってしまった。のちに、母が扱いかねると祖父みっちゃんに伝えていたことを知る。
母はお店の総務をしていた。小さな事務所で、祖父みっちゃんは経理をしていた。2人の関係は、義父と嫁というより、店を支える同志のようであった。
小さなジカは、母のデスクとみっちゃんのデスクを行ったり来たりして好きに過ごしていた。
ジカは、時々、底知れない衝動が自分の中から出てきて、持て余してしまうことがあった。
5歳くらいのあまり言葉を知らない時は、「暴れたくなってきた」と周りの大人に伝えていたが、その気分を理解してくれる人はいなかった。
みっちゃんは、特に反応はしなかったが、無視するでもなくただ聞いていた。
不思議とジカは、みっちゃんに聞いてもらえるだけでその衝動がおさまった。
またジカは、アトピー性皮膚炎であったため、常に体の痒みがあった。
当時はあまり対処法も知らず。周囲の大人たちは「掻きむしるな我慢しろ」というだけであった。
本当に、本当に我慢できない状態になったとき、ジカはよくみっちゃんに助けてと取り縋っていた。
みっちゃんだけが、我慢しろと言わなかった。ただ、黙ってジカの身体に触れている。祖母トチコのように、わかりやすく同情するでもなく。何をするでもなかったが、ジカが唯一何の遠慮もなく、ただ一心に助けを求められる人だった。
(一度、これならどうだと塗ってくれたアロエのイラストが付いたクリームがあった。後日判明するが、それはトチコの化粧落としであった。保湿剤ですらなかった。残念みっちゃん)
ある晩、布団の中でジカは気がついた。よく、子役はいつでも泣ける演技が出来ないといけないという。
ジカは「もし、みっちゃんに何かあったら」と思うだけでいけそうだと思った。
ほら、すぐに泣けてくる。ジカは子役になれちゃうじゃない、とひとり満足しながら眠りについた。みっちゃんがいなくなったら、ジカの世界は終わると本当に思った。
無口な祖父と無表情な孫の組み合わせは、ジカの家ではよくある風景であった。ジカ思春期になり、お互いに距離を取り始めるまでだったが。
みっちゃんには、3人子供がいた。叔母、乳幼児で亡くなった伯父、ジカの父だ。
みっちゃんは、物静かなのに活動的な自由人であったため、あまり子供達との、関わりは少なかった。ただ、家長として尊敬を集めていた。
ジカが高校生の頃、帰省していた叔母とトチコが話しているのを聞いてしまった。叔母は「私はお父さんに愛されていなかった。一度、どうしてなのか聞いてみた」とさめざめと泣きながら言う。
トチコが、みっちゃんの反応を問う。
叔母は「お父さんは、その時も何も言わなかった。ただ、黙っていた。この人は、そう言う人なんだと思った」と泣き続けていた。
そそくさとその場を立ち去りながら、どこか優越感を感じてしまう自分をジカは恥じた。
子供と孫は、責任感が違う分、可愛さの種類が違うとジカも理解していた。それでも、叔母に向けられるはずの愛情全てを独り占めしてしまったような気がした。
今なら分かる、みっちゃんの愛情は正直分かりづらい。ポーンと大胆に大金を出すか、無反応で話を聞いているか両極端だったのだ。
練乳とイチゴの割合を9対1にするぐらい、甘党なみっちゃんは糖尿病であった。19歳のジカと、借金まみれのお店を残してあっさりと去っていってしまった。
すっかり大人になったジカは、ここ数年お盆と彼岸のお墓参りを欠かさなくなった(二十代はサボってた)
下手なパワースポットにいくより、自分の軸が整うような気さえする。
昔々、トチコがみっちゃんに「たまには仏壇に手を合わせたら?」と苦言をていしたことがあった。
みっちゃんは「俺はいい。いつも思っているなら、わざわざ手を合わせなくてもいいから」と珍しく一言以上で返答をしていた。
ジカ母はみっちゃんのそういう姿勢に共感していた。なんだかんだ言って、気の合う2人であった。
はい、グレートファザコンの場合、恋愛はどうなるのでしょうか?気になりますね。いつか質問してみよう。わかったら補足しておきますね(できたらね)
そして、このお話には、父親の存在が出てきませんね。そうです、叔母の姿こそ、未来の私かも知れず。
残りは、両親との振り返りですね。大掃除するぐらい腰が重いなあ。その分、恩恵は計り知れないはず。クラリッカでした。